大日本武徳会の創立

武徳誌「大日本武徳会創立起原及び沿革」
鳥海弘毅氏口述より


 明治26年、第4回内国勧業博覧会の会場として大極殿(平安神宮)造営が決定。その地鎮祭では、京都市民主導のイベントが企画された。これに対し、鳥海弘毅(京都府収税長)は、「芸娼妓と伍を為して余興を添えて神霊を慰めんとするが如きは敬神の本旨に背くもの」と強く反対。自らは、各地の武道家を集め大演武会の開催を、と意気込んだが、賛同者を得られずあえなく失敗。
 しかし日清戦争を経て、尚武の機運が追い風になり、廃刀令以降、衰えつつあった武術の再興を願う有力者が鳥海の元に徐々に集まり、丹羽圭介(美術家)、佐々熊太郎(京都府警察署長)らが発起人となり、総裁に小松宮彰仁親王、会長に渡辺千秋(京都府知事)、副会長に壬生基修(平安神宮宮司)を迎え、さらに、辻重義(第百十一銀行頭取)有川貞清(私塾)、田中貴道(京都府警部長)、飯田新七(高島屋)らが加わり、明治28年4月17日、大日本武徳会が創立した。

武徳殿600

 大日本武徳会の施設要領は、

  • 第一 平安神宮の辺に紀念武徳殿を造営すること。
  • 第二 毎年一回武徳殿に於いて武徳祭を執行し神霊を慰め奉ること
  • 第三 武徳祭には全国の武術家を会して武技を演じ皇国の武徳を発揚すること

 以降、第十項の規則で「至って簡単なるもの(鳥海)」あった。