楠本章三郎
秘剣(2)
昭和から平成に変わる頃、久松鶴(前述)さんの縁者から豊田師範に一本の電話がありました。古い刀箪笥の中から不明な書付が出てきた、とのこと。
箪笥の奥底に、屑紙がグシャグシャの状態で詰まっていて、ぼろぼろの紙をやっと開いてみても何が書いてあるのかさっぱりわからない。さらに朱筆で文章の上からなぞってあるので、なにか書き損じて捨てたものではないか。勝手に燃やしてしまう訳にもいかないので引き取ってほしい、といった要件でした。

そこには二枚。一枚目は、斎藤弥九郎が技をまとめる以前、おそらくこんなものは必要ないとして切り捨てた技。「見位」とは、敵との間合いの取り方のこと。これは極意の一つ。章三郎は「身位」と記して解説しています。
二枚目は、活殺自在の必殺剣。まず、前半は必殺の方法、続いて逆に仕掛けられた時の防御方法が記されていて、たとえ親兄弟であろうとも絶対に「他言無用の事」と念押されています。巻末の系図では、初代岡田十松から伝承されています。
伝えるところによれば、仏生寺弥助は練兵館からの刺客によって粛清された、とあります。しかし弥助は練兵館最強の男。練兵館からの、たとえ複数の追手であってもむざむざ殺されるでしょうか。作家先生たちによれば、弥助を酔わせて襲った、毒を盛った、それらをまとめて仕掛けた等々、イメージを膨らませます。
あるいは章三郎ならば。
弥助に警戒されず接近でき、剣の技量は及ばないにしろ、弥助の太刀筋は十分承知で、弥助が知らない剣を十松から伝授されている。
章三郎自身はこの事件に関して一切語っていません。
実際に、弥助を斬ったのは章三郎だったのかどうかはわかりません。しかし、章三郎が少年の頃から隠居先生のもとで共に稽古し、腕が立つ頼もしい兄貴分と慕い、遊んだり騒いだり、青春を一緒に過ごした弥助の死を前にして、相当辛く悲しかったと思います。純粋無垢な剣士である弥助を死に追いやった時勢の残酷な無情を恨み、自分は何のために剣を学んだのか、目標を失ってしまったのかもしれません。
この事件からほどなくして、芹沢鴨も新選組によって暗殺。以降、新選組は近藤勇のもと結束し、京の統制を強めていきます。
章三郎はというと、先の事件以降、緩慢な日々。一方、練兵館は毎日盛況で、新しく入門してくる若者もどんどん増え、この頃入門してきた若者に根岸信五郎がいます。
ここからの数年、変化する国内情勢にもまったく無関心で、ひたすら剣技の研鑽に励みます。ひょっとすると兄正隆が、憂いなく好きな剣術修行に打ち込めるようにしてあげたのかもしれません。
しかし、慶応三年に入ったある日、ついに大村藩から章三郎宛で集結の命令が下ります。