神道無念流の体系

 神道無念流の体系の概要を練兵館の免許に従って簡単に説明します。


1.神道無念流

 『剣は御神器の一つでありその道は神世に始まる。故に「神道」と呼ぶ。そして「無念」とは、他念なく練磨を積んで可不可なきに至ることである。故に神道無念流という。』(「篤信齋大先生口授」楠本章三郎)


2.三拝

 練兵館では、稽古する道場を「演剣場」と呼びます。神道無念流では、演剣場は修行の場であり戦場ではありません。師がいて先輩がいて、その前で、修行者は仲良く稽古する場です。まず最初にすべきの礼は、神、親、そして師の三方に対する礼。これを「三拝」と呼びます。立居合で行う「九拝」というさらに深い礼もあります。
 演剣場に入って、ちゃんと三拝しなかった場合、稽古に参加させてもらえません。さらに、いわゆる常在戦場的な、左手で刀を刃を上にしてを持つことも絶対にありません。演剣場では、いつでも刀が抜ける持ち方は無礼に値します。

「神道無念流」斎藤歓之助

 さらに加えて述べると、足袋等は履きません。演剣場とは先の通り。そこは修行の場です。そもそも神道無念流はすべて立ち技ですので、体軸をとらえる(後述)ことができなければまともな稽古や演武はできません。また刀礼ですが、手のひらをももの上部を滑らせて礼をする、といった方式ではありません。この所作を行い演武する剣技は、もはや神道無念流ではありませんのでご注意下さい。

 演剣場には道場訓(「演剣場壁書」)が掲げられています。演剣場壁書の内容については、巷で様々解釈されていますので参考にして下さい。


3.免許

 斎藤弥九郎は、練兵館の修行過程をわかりやすくするため、「剪紙」から始まる撃剣館の修行過程をやめ、「目録」、「順免許」、「免許」の三段階にしました。また弥九郎は、より洗練された流派にすべく、藤田東湖や江川英龍らの協力を得て、剣理の確立、剣技の整理、追加する作業を開始。例えば撃剣館では、立居合十剣でしたが、十二剣に拡張。さらにすべての技に特徴を表す名称を付け、修行者の理解を促しました。

 立居合について、神道無念流の「目録」では、原則では、最低でも基本的な三本をしっかりマスターすることになっています。一部の作家が、できるものが極めて少なく、としていますが、これは練兵館の免許発行のさじ加減が問題で、弥九郎は、剣技のみならず練兵館に貢献した者には、その度合いに従って免許を与えていました。現存する免許を見ると、たいして練兵館に通ってない者でも、門弟として名前が連なる場合があります。つまり、そもそもまともに教わっていなくとも、剣技は「五加」さえやっていれば「目録」をもらえる場合があり、結果、例えば「目録」を殿様への公費留学の証として利用し、いざ国許で剣を教える段でさっぱりわからない、といった事態になってしまっているケースがあります。


4.テーマ

 神道無念流について、練兵館で学ぶテーマは、次の通り。

「神道無念流」斎藤歓之助

(1)一圓中太刀太旨

 神道無念流の剣を使う者の心構え。自らの刀を中心にして周辺の環境を把握し、素早く敵に対応すること。

(2)常一知神

 神道無念流を学ぶ者の平時からの心構え。不覚を取らぬよう心掛けること。

(3)五加五形

 「五加総て勝負なし。未発之象の起こりて未発之象にとどまる一圓の理也」(「篤信齋大先生口授」楠本章三郎)

 二人で稽古する組太刀。神道無念流では、現代剣道のように仕太刀、打太刀とは言いません。「遣構」「元構」です。全部で五本。

「五加一圓之太刀」久松鶴
「五加五形解説」久松鶴

 「五加一圓之太刀」の内、「天上」について、この技はある幕末の殺害事件の太刀筋で、豊田師範曰く「中倉(清)先生と検討していたところ、中島(五郎蔵)先生も加わって、中倉先生と中島先生が五加を開始。この辺がちょっと違うよね、こんな感じかな…とか。とても楽しく、貴重な時間でした。」
 そもそも豊田師範は、「中倉先生は、私の場合、技の指導と言うより、胴着をたたまされてばかりでした。」とのこと。

(4)非打十本

 ここからは、「順免許」テーマ。修行の中心になります。全部で十本。

「非打」久松鶴
「非打解説」久松鶴

(5)立居合十二剣

 「歩き走り抜く故立居合という也」
 前述通り、撃剣館では立居合は十剣でしたが、斎藤弥九郎は、藤田東湖や江川英龍らとともに技を整理して、十二剣に拡張しました。

(6)総合二剣

 免許皆伝の技術的な最終テーマです。名称ですが、斎藤弥九郎では、「総合二剣」です。次の新太郎の代になると「統合二剣」と呼んだようですね。

 総合二剣は、弌剣「心慮剣」、弐剣「圓中刀」で構成され、両方とも「走り」ながら行う技。弌剣は一対一、弐剣は一対多を想定しています。この技は現在、全剣技を理解していて、かつ変化体を把握している豊田師範しかできません。思うに、このような戦場での応変力が問われるような構成の技は、新太郎の代ではもはや無用で、学んだ技のおさらい的な意味合いに変わったようです。


5.修行の心得

 神道無念流の修行の心得は、「免許」の「五位傳記」に図示されています。

(7)五位傳記

 「五位傳記」とは、修行のレベル。簡単に述べると、稽古を怠けると真下に「下リ」、そこからもう一回修行をやり直して「上ル」って行かなければなりません。
 さらに追記すると、修行の段階が6ステップあるということは、そのレベルに従って技の内容も変わってくるということ。最低でも3レベル存在します。例えば、立居合12剣としていますが、12 × 3レベル の36通りあることになります。

「五位傳記」柴江運八郎

 さて、かつて、大村藩の神道無念流は省略されているのですか、と尋ねられたことがあります。何をどう省略しているのか未だにわかりませんが、五位傳記が示すレベル1(ステップ1、2)とレベル3(ステップ5、6)の違い。すなわち演武される方の修行度合いで同じ技でも違って見えます(違った内容もあります)ので、そう感じたのかもしれません。
 あるいは、弊社とは別に大村藩神道無念流の居合のみ稽古されている方々もたくさんいらっしゃいます。弊社では絶対にありえませんが、そちらの指導者の方がどなたでも演武しやすいようにアレンジされたのかもしれません。


6.免許皆伝

 神道無念流の修行の皆伝は、「免許」の最後に図示されています。

「神道無念流免許皆伝」柴江運八郎

(8)活人刀

 卍は吉祥。免許皆伝にふさわしくいかにも道徳的な雰囲気です。しかし神道無念流の免許をよく読むと、技の神髄は、必ず図示、または注釈しています。実は、この刃が八ヶ所ある卍形が示す技は活殺自在の技。秘剣として存在します。大日本武徳会結成前夜、渡辺昇が消し去った技の一つです。

「活人刀殺人(刀)」柴江運八郎