徳山藩の神道無念流
古志小源太
豊田師範の山口県での修行時代。ある日、同県にお住まいの老婦人からのお申し出があり、家を解体したら巻物が出てきた。巻物には、神道無念流と書かれているのであなたにあげる、とのこと。大変恐縮しつつ開いてみると弘化二年に古志小源太が書いた神道無念流の目録免許でした。

山口県文書館に保存されている徳山毛利家文庫「記録所日記」によれは、文化十一年(9月7日条)に第八代藩主毛利広鎮の武芸上覧が開催され、そのイベントに古志小源太が参加したとの記述が残り、打太刀と記した下に古志小源太と岡田十松の名がありました。
さっそく山口県文書館におうかがいして、古志小源太の関係書類を閲覧させていただきました。

山口県文書館蔵
表五加 | 非 打 | ||
打太刀 | 古志小源太 | 打太刀 | 梅地喜間太 |
岡田十松 | 岡田十松 |
小源太の武歴は、鎗術「無方流」を藩校師範の玉井一貫、鎗術「種田流」を平田弥清、そして神道無念流を江戸で岡田吉利に学んだとあり、間違いなく撃剣館に入門し、初代岡田十松のもとで修行しています。(「古志小源太墓碑」山口県文書館蔵)
記録所日記を見ると、撃剣館一行は「表五加」と「非打」を演武。表五加とは、「五加一圓の太刀」のうち、前に進んで斬る動作のみで構成する形。神道無念流では、前述通り打太刀、仕太刀とは言わないので、日記の記述者が、当時の様子として自分の言葉で書き込んだものと思います。この記述に従えば、おそらく打太刀-古志小源太、仕太刀-岡田十松でしょうか。
もう一つは非打。小源太は、こちらは演武していないようですが、非打の組太刀十本のうち、特に「圓心」に「槍構」という操刀があり、鎗術を修めた小源太にとっては、大変興味深かったと思います。岡田十松は、鎗術が盛んなこの地を考慮し、殿様の前で披露する技としてこの圓心を演武したに違いありません。上覧イベントの最終日には小源太は無方流、種田流を演武しました。同時に神道無念流との違いや共通項など解説したかもしれません。藩士たちにとってはこんな機会はめったになく、大いに盛り上がり、殿様からはねぎらいの言葉もいただいたようです。

「試合」
山口県文書館蔵
さて、小源太が撃剣館の門人であったことはわかりましたが、このイベントに参加した岡田十松は初代か二代目か。
武芸上覧の開催が文化十一年なので撃剣館時代。斎藤弥九郎はまだ門人で、初代岡田十松が引退寸前の頃。「五加」は、撃剣館の様々な太刀筋を五種類にまとめた形。さらに、文化十一年というと初代十松は五十一歳。初代が達者なのはわかりますが、徳山藩までの長旅に加え、上覧演武会をこなすにはちょっと辛いかもしれません。
ということで、私たちは、文化十一年の武芸上覧には、若き二代目岡田十松が参加したものだと考えます。
古志小源太がきっかけで、私たちの大師範の師匠である二代目十松の名に出会えるとは、なにか楽しい縁ですね。